エプロンが、ナップザックが、彫刻刀が、ドラゴンだったお前らに告ぐ。(自由律)

155 名無し (ワッチョイWW 4fc6-Dk1L) 2018/01/25(木) 18:35:27.24 id:C3JvrqfC0
おにぎりを2つ買うときは違う種類を選ぶものだと思っていたけど、別にそんなルールないんだった、
そうしたければ同じおにぎりを2つたべてもいいんだった、こんなことに気がつくまでに28年もかかってしまった

学校がおもんないとか、くだらないとか、そんなの当たり前の話で、なんなら学校は人生におけるそれらとの付き合い方を学ぶ場であるのが真の目的であったりするとか思ったり思わなかったりなんだけど、それでも学校はおもんないしくだらない、と学校にいる間常に思う。

 

小中高大と通ってきている俺が一番おもんなかったと感じているのは圧倒的に中学時代で、勉強もせず部活にも入らず友達とも遊ばずに3年間、やっていた事といえばマインクラフト。学校に馴染めていたかと言われるとかなり微妙で、誰とも敵対することがなかった。これは誰かと敵対するよりもっと酷い状況で、要するに誰にも関心を持たれていなかったというのが現実。

 

俺の過ごした中学時代は(他もだいたい同じだと思うけど)「部活」のまとまりが全てであり、学校生活の根っこには常に部活ごとの団結があった。どこにも所属していなかった俺はまさに広く浅くといった感じで、おそらく誰の思い出にもならず3年間を過ごしてきた。じゃあ誰とも深い関係になれなかったのがおもんなかった原因かというとそうでもなく、正直俺と合う人間なんてそうそう簡単には存在せず、そんな激レアさんと地元の公立中なんかでマッチングし得る訳がないことは当時から薄々わかってたし、仲良くなった友達と休日遊びに行ったり部活で一緒に汗を流して努力したり女の子と一緒の高校行くために勉強会したりなんて全然したくなかったんだからね。(😭😭😭)

 

中学校が嫌いだった理由は他にもあって、とにかく先生たちがすぐ「怒る」。課題忘れたら怒られるし、遅刻したら怒られるし、とにかく良くないとされている事をやる→全て「怒られ」につながるのが大嫌いだった。(いや良くないことしたら怒られるのは当たり前では?笑笑笑)まあ小学校上がりの生意気なクソガキたちを恐怖で支配して物事の良し悪しを叩き込むのは半ば無理やりながら必要な教育だったのかもしれないが、とにかくなにかにつけて怒られる中学時代がクソだったのに対して、高校に入ってからは普通に楽しかった。俺の高校は緩いというか偏差値が低く(41)、進学よりも就職が多い学科だったので、学校生活において先生に怒られるとかそういう事がほぼ発生しないのが良かった。

 

高校が緩かったというのは最初からの話ではない。偏差値41の学科ながら毎日課題が出ていたし、スマホは毎朝回収だったし、毎日オンラインで200字ぐらいの日記を書いて提出しないといけなかった。最初は。

 

なぜ途中から無くなったかというと、誰もやらなくなったからである。これだけ聞くと不良揃いのクラスだったみたいになるが違くて、普通にみんないいヤツだけどだらしなくて課題はやらなかったし、スマホは昼休み中触るし、日記も誰も書かなかったのである。生徒も緩ければ教師も緩く、なんか誰も守らなくなったからやめでいいや~みたいな感じで全て自然消滅したのである。この緩さが最高に居心地が良かった。

 

”今日も蒸し暑い一日だった。去年の夏の異様な暑さや今年の冬の控えめな寒さ、そして4月下旬のこの暑さといった一連の天候の乱れは、近年囁かれている地球温暖化やあるいは寒冷化によるものなのかと考えたりしたが、単に雨の翌日であるというだけかもしれず、それらの想像も今日の中途半端な蒸し暑さによる不快感でいまいち奮わなかったため、昼過ぎから3時間ほどの入浴をしてそのままこの創立記念日の一日をダラダラと過ごした。”

高1の4月に俺が書いた日記です

 

【最後に】僕のエプロンはモンハンのアイルーでした。(選んだ理由は可愛いから)

【続・最後に】モンハンはやったことありません。

 

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